声2

勉強嫌いで不登校だった私が、正看護師になって救命救急でがんばっています。

ビクトリー学院

私と先生の出会いは、今から5年も前になる。

私は勉強が大嫌いで、中学・高校と勉強せずに学生生活を送ってきた。それでも、この性格のせいか漠然と「看護師になる」という夢だけは、小さい頃から変わらなかった。

高校3年になり、周りの友達が進学、就職を決めている中、私は相変わらずの生活を送っていた。

そんな私を見かねたのか、母親が「あんた、どうすんの?看護師の学校に行きたいんやったら勉強せんと大丈夫なん?」と、夏を過ぎたぐらいから私に、口うるさく言うようになった。

今まで「勉強しなさい」と言った事がないし、また言わない母親だった。急にそんな事を言われると少し心配になり、進学したい専門学校の過去問とパンフレットを取り寄せた。(10月頃)

今思えば、2月に試験なのに、10月にパンフレットを取り寄せるなんて…と自分でも思う。その後、過去問をやってみたが全く出来なかった。それでも、このときの私は「大丈夫、何とかなる、全部わからなかったわけじゃないし、難しい年と簡単な年がある。きっと私が受ける年は、簡単な年だろう」と思っていた。私はよく周りの人に、「その根拠のない自信はどこから出てくるの?」と聞かれるが、自分でもわからない。でもなぜか「大丈夫、何とかなる!」と思えてしまう。今まで「ダメだろう」と思った事は、二度程である。今も、それは変わっていない。 それから二か月程たち、私の勉強する姿を見た母親が「あんた、明日から塾行くから」と言い、強制的に連れて行かれた。それが先生との出会いだった。

今でも、先生との出会いは覚えている。男の先生はメガネをかけ、二人とも優しそうな人だった。挨拶も早々に母親と先生は話をはじめ、母は「これからよろしくお願いします」と曜日から時間まで、全て決めてしまった。私は内心「また勝手に決めたし、行くなんて言ってないし」と思いながら「頑張ります」と言ったのを覚えている。それから試験までの三か月間、週末以外は17~21時、週末は先生の自宅で、朝の9時~21時まで勉強した。その時の私の学力は小学4年生ぐらいだった。なぜなら、先生の「2分の1は小数に直すと?」の問いに、「1」と答えたからである。その瞬間、先生が頭をかかえたのは言うまでもない。そんな私を高校レベルの学力にするのは、とても大変な事だったと思う。毎日、毎日、ひたすら問題を解き応用を身につける事を行った。解いても、解いても、問題は山のようにあり、時間はあっという間に過ぎていった。何かに一生懸命になる事のなかった私にとって、目標に向かい日々生活を送るというのは、とても充実した毎日だったのではないか。試験当日、初めて試験を怖いと感じた。

結果は、もちろん「不合格」そんな簡単に受かるわけない。何ともならない現実に力が抜けた。「明日から、どうすればいいんだろう?」そんな思いで先生に結果の電話を入れた。今まで、落ちても受かっても自分事だしと思っていたのに、急に先生の顔が浮かんできて、申し訳ない気持ちで一杯になった。先生に「ダメでした」と言うと「そう残念やったね、あんなに頑張ったのにね」と少し悲しそうな先生の声がした。その時、もう一度1年頑張ろうと思った。そこから1年間、毎日、毎日8時間以上の勉強漬けの日々が始まった

今考えると、よく続けられたなと思うぐらい勉強した。でも不思議な事に、先生と勉強する事を苦には思わなかった。別に特別な事をしてるわけではない。ただひたすら先生が側に寄り添い勉強を見てくれるその繰り返しである。ただ一つあるとすれば、毎日一つ一つ出来る問題が増える事が楽しくて仕方なかったのかもしれない。そして1年後、私は「合格」した。現在私は看護師として、救急医療センターで働いている。あの時先生に出会っていなかったら、現在の自分はないと思う。先生とだから、頑張れたんだと思う。先生には、そんな不思議な力がある。今でも勉強嫌いなのは、変わっていない。テスト勉強も一夜漬けだし、努力するのも苦手である。でも、努力する事の大切さは忘れてはいない。努力したから、夢をかなえる事が出来たから、勉強が苦手な人や夢がある人は、一度先生に出会ってほしいと思う。そこで何かが変わるかもしれない、私のように。   (T.まみちゃん)

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塾長
実は彼女にはお父さんがいない。お母さんは3人の子どもを育てるために、寝る間も惜しんで働いている。彼女は小学校5年生から弟と妹の面倒を見ながら、家事一切をやってきた。高校になってからは、アルバイトもした。そんな彼女の夢を何としてもかなえてもらいたかった。私たち夫婦には子どもはいないが、力強く社会に巣立っていった教え子や塾生は私たちの宝である。
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